ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

IT土方としての雑感

「IT技術者はやりがいがある仕事か」---学生とIT産業のトップが公開対談 | 日経 xTECH(クロステック)
「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論:IPAイベントにて - @IT

例によりあまりにも多くの人たちが沢山の視点で本当にタメになる意見を書いているが、個人的に一番、次のエントリが好きなのでメモるのです。

夢のあるITには若手が殺到している 刹那的な業態が見切られただけ - 雑種路線でいこう

一分の漏れも、隙も無く、凝縮されていると思う。

そして膨大な数の「業務知識に精通し、かつ、大規模システムをチームワークで作れる人材」を業界が欲する背景に
...
発注企業のIT部門でさえビジネスプロセスに触り難い組織力学にあるのではないか。

そしてあまりにも秀逸で、一文でメロメロになりましたのは・・・

そういった非効率で価値を生まない似たようなシステムは、膨大な数の使い捨てられる技術者の犠牲の上に成り立っている。

さらにこれに泣いた。

若者が来ないのは他じゃ役に立たなさそうなレガシーコードのお守りをさせられ、取引関係で立場が固定していて提案を聞いてもらえなかったり、受注先や元請けの尊敬できない担当者から理不尽を押し付けられ、馬鹿馬鹿しくてやってられないような世界ではないか。

新人の教育を任された身で、胸に突き刺さる一文はこれ。

いまどき責任と良識ある大人なら「君は俺のいう通り苦労しろ、そうすれば報いてやる」なんて無責任なこと、口が裂けてもいえない。せいぜい俺の背中をみて組織での生き残り方を学べ、骨は拾ってやるから信じたとおりやってみろ、くらいが関の山ではないか。

そりゃそうだよなぁ。報われる頃まで会社が続いているという前提が既に怪しいのだから。
せめて、「会社の為に、仕事の為に」何をどう勉強するのかではなく、「自分が自分で自分の人生を楽しむ為に」何をどう勉強すればいいのか考えろ、と言うのが新人への個人的なメッセージ。そっちの方が面白そうじゃん。

また、その方向に進むにはまず既にITの世界で働いている人達自身が、「おお、自分がやってる仕事ってひょっとして凄くない!?」と気づくか、そう思いこんで、自分たち自身を「自分達、なんかスゴイの作っちゃった!?」と鼓舞する事じゃなかろうか、と最近強く思う。
きっかけとしては2006-2007年にかけて、とあるインフラ系の仕事に下請けとして携わったのだけど。終わって半年ほど経ち、お客様から利用者も増えて順調に動いているという話を人づてに聞いた時、ITの仕事に就いて始めて、自分が作ったプログラムが毎日大量のデータを捌いてインフラシステムをつないでいるのだという実感が湧いた。同時に、自分が作ったプログラムが世界の一部に組み込まれ、毎日毎日CPUの上でクロックサイクルと共にJavaVM上でバイトコードとして動き、バイトストリームを処理していることに軽い恍惚感さえ覚えた。

まずここからじゃないの?と思わないでもない。自分が為したことに恍惚感、快感、誇り、自慢、愉悦を感じられない人間が、どうしてその仕事の魅力を語れるというのだろう。
批判エントリ、批判ブクマコメントを書いた人達にすら矛先は向かう。「批判はいいから、自分たちこそ仕事のおもしろさを語れるような仕事をしたいよね」、と。どうしても今の仕事、今の職場がイケテナイのであれば、どうやったらもっとおもしろい仕事を「自分で」作ることができるだろうか、探すことができるだろうか、考えたいね、と。女工哀史ならぬIT土方哀史でオナニーしててもしょうがないじゃん。世界はもっと汚くてもっと綺麗でもっと面白くてもっとつまらないはず。ブクマでだらだら嘆くだけじゃ、喜びも嘆きも怒りも哀れみも恥じらいも屈辱も恍惚も愉悦も絶望も恐怖もまだまだ全然物足りねー。