ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

プログラミングと芸術と。

駄目だ。やっぱり自分は、SEにはなれそうにない。少なくともサラリーマンとしてのプログラマとしては、また職人としてのプログラマとしても、自分は、なれそうにない。

並木:芸術は試行錯誤の最たるものでしょう。
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プログラミングも、本当はそういうものがあるんですよね。作ってみたけど、これは違う。直してみたけど、やはりまだしっくりこない。
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原田:そうですね。他人が評価するかどうかはまた別の話で、まず自分自身が作品だと思えるかどうか。もし思えるなら、ちゃんと時間をかけたということですなんですよ。

プログラミングと芸術に共通するもの---英才教育を考える(5) | 日経 xTECH(クロステック)

何というか、これも過ぎてしまえば採算度外視、ジコチュー全開で自己満足の世界に浸る技術オタクだよな。
ただ・・・それでもなぁ。

幼稚園〜小学校卒業までアトリエに通ってお絵かきを学んでいたんだけれど(技法を学ぶというか、好き勝手に描かせるタイプのアトリエだった)、多分自分がプログラミングを行う上でその経験は意外と無視できないほど巨大な下地を作っているのかも。
「世界の電波男」で「火の鳥 鳳凰編」で、猿田博士(の一族と思われる我王)がシリーズ中ほぼ唯一「幸せ側」に立てたのは、鬼瓦を作る過程で自己表現の手法を身につけ、それ故に自分の中に溜まる想いを外に吐き出せたからだ(すげー端折ってます。詳細は実際に読んでみて下さい)という論が展開されていたけど、ぶっちゃけ自分もかなりそれに近いことしてるなぁと思わないでもない。
Xhwlayを作ったのもYakiBikiを作ったのも根底にあるのは満たされない現状に対する不満であり怒りなんだよな、と。で、自分はそれを表に出し、なおかつなんぼか生産的な(健全な)方向に昇華しうる手段を持っていたのだ。

ってなると、そもそも自分は会社員として、職業として、仕事としてプログラミングしているのではなく(そういう割合が零とは言えないが)、なぜプログラミングが好きかと言えば結局の所自己表現の一つとして今の自分にとって最も効率的な手法だから、なのかもしれない。ああ、結局自分も喪男の一粒なのだ。
そう、結局の所「モテナイ」怒りを同人誌の原稿にぶつけるオタクと、満たされない欲求をXhwlayやYakiBikiにたたきつける自分も、同列なのだよワトソン君。
でもそんな事言い出したらアレか?世の中のクリエイティブというかそっち系の仕事は全部個々人のマスターベーションの集積と言うことになるのか?

うー、尻切れトンボ。