ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

私信

「データだ、メアリー。データを聞かせてくれ。科学(サイエンス)として話をしたい」

Brain Valley (上) 364p, 瀬名秀明 角川書店

それ以前に、「犯罪統計書」は警察庁サイトにわずか7年分しかアップされていない。一番基本的なデータである「犯罪統計書」がウェブ上にすべてないというのでは話にもなんにもならない。手分けしてすべてアップし、この一番の基礎をみなで共有できるまで、一切なにも語るな!默って手を動かせ!
...
人としてもっとも基本的な欲求である世界の真理を解き明かしたいという渇望はそこにはないのかね。ぽっと出た想いつきに、たまたま都合のよいデータがあればそれをひっつけて、そんなことで満足なのかね。

考える前にやるべきことがあるだろ : 少年犯罪データベースドア

昨年末辺りからしみじみと実感するのですが、高校、大学まで出ていながら、ころっと悪質宗教や悪質商法にだまされる人間が後を絶たないのは、「知識が知恵と結びついていないから」ではと、己自身の体験を踏まえた上で思います。
一体あれだけの本を読んできていながら、自分は一体何を学んできたのか・・・単に目の前を文字列が通り過ぎていただけだったのではないか・・・と、ぽかぽかと頭をげんこつで殴りたくなってくるような口惜しさを感じるようになりました。

目の前に出された現実に対して疑問を持ち、自分で調べて、自分で考える。また、そのために客観性のある「データ」と、その客観性自体を量ったりデータを操作する「統計学」というツールを操る。数字の意味を確認する。
自分、まるで出来ていなかったですね。今でも出来てないかも。工学部、機械システム工学科出身なのに、一体何を学んできたのか。
思い出すたび、マジで赤っ恥、赤面モノです。ああ、もう、穴があったら入りたい位。

その事に気づかせてくれた、という点では、ええ、まぁ、感謝はしてますよ。某NBには。
でも、やっぱり口惜しくてしょうがない。何より自分が口惜しくてしょうがない。自分が許せない。

実際の所、疑問を持って調べる、というのは「間合いを取って時間を稼ぐ」という効果もおまけで付いてくれる非常に便利な手法です。
世論、新聞、TV、インターネット、Blog、Wiki、書籍、口コミ。
大量の情報に曝されているわけですが、自分の生活や職業範囲で関わらなければならない情報については、少なくとも「え?それ、本当?」と他のデータソース当たったりするなど、とにかく「え?」と思った点を自分なりに納得行くまで調べる。そして、「データ」と「統計」を操る事で数字の海を渡りきる。
これで、時間稼ぎできるわけです。いろいろと。
それを、しなかった。許せない。某NBが許せないのではなくて、そういった行為が採れなかった自分が、許せない。

これからの人生、当分の間、リベンジが続きそうです。