ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

日本刀のようなソフトウェアを作りたいなー。

痴れ言。
作者のこだわりが、熱くて暑いパトスが感じられるような、「なるほど、作った人自身こーゆーのが使いたくて使いたくてたまらなくて作ったんだろーな」と思わず頷いてしまうようなソフトウェアを作りたい。

下手から上手まで誰でも使えるけど、上手が使うと下手の何倍もの自由と力強さと柔軟さを発揮できるようなソフトウェアを作りたい。

日本刀のように、コードを見たら思わずため息がこぼれてしまうような、人を魅入らせるようなソフトウェアを作りたい。

単純で誰でも使えるのだけれど、それ故に上手が使うととんでもなくとてつもない作業を行えるようなソフトウェアを作りたい。

誰でも分かるような命名規約、あるいは単純なコード規約で縛られたファイル名、関数名など以ての外だ。

その人の哲学が、クラス一つに込めた思いが伝わるような、分かる人が見ればニヤリとしてしまうような、でもそれなりに保守性があるような、絶妙で危ういバランスの上に成り立つようなソースコードを書きたい。

単に自分の名前を入れるのではなく、「銘を入れる」と表現できるほど哲学と情熱と集中力を注ぎ込んだソースコードを書きたい。

"@copyright"の隣に自分の名前とメールアドレスを書き終わった後に一口すする珈琲が例えようもなく美味しくなるようなソースコードを書きたい。

万華鏡のように仕組みは単純でありながら使う人・見る人により千変万化するようなソフトウェアを作りたい。

その時点での自身の感性と知識と教養のありったけを注ぎ込んだ「作品」と呼べるようなソフトウェアを作りたい。

あるいは群体のようなシステムを作りたい。

個々のプログラムは軽量で、しかし群れとして動作する時、生き物としての「気配」を確かに感じ取れるようなシステムを作りたい。

個々のプログラムが今まさにCPUクロックと同期してレジスタやバスの中をビットが蠢き、半導体のスイッチをガチガチと音を立てて切り替えていくような手触りを感じたい。

きつすぎずフラットで、失敗することが当然で、プロセスは絶え間なく作り直され、寿命を持つことが自然で、自身が完全でないことを前提の上でしなやかに、時には醜く時には美しく、綺麗なコードがあれば汚いコードも混ざっている海の中に居るような錯覚を覚えるシステムを作りたい。

例えばEclipseであり、例えばsakuraエディタであり、例えばLISPであり、Perlであり、Rubyであり、例えばC言語である。
使ったことは無いけど、例えばBSDもそうであるのだろう。Emacsもそうであるのだろう。

自分の作ったコードが世界の片隅でCPUクロックとともに音を立ててビットを刻み込んでいく、ただその夢想だけで、安物のインスタント珈琲が格別の風味を持つような、そんなソフトウェア/システムを作りたい。