ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

書いてみましょうかね。

仕事や会社を大事に考えるということは、自分の健康を考え、継続的に会社に貢献することを改めて考えるべき時代では・・・と考えました。とくに、人力に頼りがちなシステム業界ですから。

無理をしている自分に酔ってませんか?

商売の心得として、「まず自分を立て、相手を立てる」というのを聞いたことがあり、印象的だったのか今でも覚えています。
自分を立て、満足させること、その力、知恵が無くして、どうして赤の他人を満足させることができようか・・・という意味だったと思います。


翻って世の中で過労されている方を見ますと、まぁ一過性のお祭りなら良しとしても、日常的に大変な過労をされている方を見ますと、本当に無責任ではあるのですが、「少し休んだら・・・?」と心配になってしまいます。
その方達はきっと、誰かを幸せにするために懸命に頑張っているんだと思います。信念と価値観と誇りをもって職務に励むその姿勢はきっと見習うべきものなのでしょう。でも、私は疑問に思うわけです。「自分自身が幸せになれない仕事で、どうやって他人を幸せにすることができるのだろう?」と。

睡眠時間毎日3時間(徹夜?)、ストレスでじんましんが消えなくてそのための薬を貰いつつ、それでも自分の仕事に誇りと信念と価値観を持って懸命になんとかしようと働いている人たち。システム開発の話で言えば、出来上がったシステムのユーザーは、そうした人たちが居て、そのシステムは動いているのだと分かって使うのでしょうか?あるいは、開発側は、自分達が不幸になって出来上がったシステムで、使う人たちが笑顔で使って貰えるのでしょうか?
どうにも、正直なところ疑問なわけです。
もちろんシステム開発以外の現場でも当てはまるでしょう。自分の使っている携帯電話、PC、Webソフト・サービス、電車、タクシー、自動車、外食、衣服・・・エトセトラエトセトラ。確かにそれは世の中の大多数をより良い方向に持ち上げる為、存在します。それでも、その裏側で、例えば駅の掃除員とか、職場のビルの清掃員とか、警備員とか、コンビニの店員とか、宅急便の運転手とか、サポートセンターの電話に出る人とか、膨大な数の人間が関わっているわけです。その人達は幸せなのか?あるいは、消費者はそこまで意識して代価を払うべきなのか?

必要な苦労、というのはあると思います。けれど、過労が原因で自殺が頭にちらつき出したり、体がやばくなったりしかけたら、それはあまりに過剰じゃないのか、と思うのです。逃げる逃げない、辞める辞めない、人がどう思うのか、思われるのか。実に色々だと思うのではありますが、あくまでも個人的な感想というか意見としては、そこまで追いつめられたら何かズレているわけですから、一旦リセットするのも有りだとは思います。
組織としては「逃げる」が出来なくても、個々人としては有りな場合もある訳ですから。軍隊などでは無理としても、一度恥も外聞も、他人からどう思われるのかも全て取り払って、「で、自分はどうしたかったのか?どうなりたかったのか?」と考えて、その上で(信頼できる他者が居れば、共に)打開策を考えるのは悪くはないと思うわけです。