ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

コミニュケーション

昨日(土曜日)会社の研修があって、コーチングのプロの講師を招いて午前中〜午後3時位までコーチングのイロハや体験などをした。
で、体験のところで「コミニュケーションで困っている事」を30人前後の参加者から挙げて貰ったら、まぁ色々出てくる。
大凡「コミニュケーション不足で上手く行っていない」(ように思える)という意見が多い。まぁコミニュケーションに関する研修なので当然なのだけれど。

で、ふと「みんなが『足りない』って言っている『コミニュケーション』って、何かよく分からなくなったなぁ。」という疑問が湧いてきた。

今日はてなをうろついていたら、これを見つけた。

コミュニケーション能力を磨いたり、友達を増やそうとする時間とエネルギーがあったら、その時間を、自分自身を充実させるのに使うべきです。自分自身が魅力的な人物になれば、コミュニケーションの仕方が少々不器用でも、魅力的な人がたくさん集まってくるものです。そして、お互いが尊敬しあえる、豊かな人間関係が自然とできあがるものなのです。

コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

あ、これかも。
「コミニュケーションが足りない→プロジェクトが大変な事に」というのはシステム開発の商売では良く見聞する話なのだけれど、なんというか、プロジェクトが大変な事になったのは本当にコミニュケーション不足が原因なのか?という疑惑を最近抱くようになってきた。

コミニュケーション不足って・・・だってあなた、今は電話もあればメールもあれば携帯電話だってあるご時世ですよ?そんな文明の利器が無かった時代だって、何千人も動員して巨大建築物建てたり、何万人もの軍隊を動かして戦争だって行えたんですよ?ああ、まぁ、道具があるのとそれを使って何かするのとは別の話だけれど。

なんかおかしい。何かヘン。

で、上のブログをみてその違和感の根っこの一面を掴めたかなぁと。うん、「何をしたいのか」が見えてこない人がコミニュケーションが足りない云々してもしゃーない、というのがそれか。いや、みんな「コミニュケーションをこのように強化すれば」とか、「これこれこういう目的達成のためにはコミニュケーションの強化が・・・」とか口では言うのだけれど。でもそれこそ「ノンバーバル」な部分でこう、パッションというかなんというか、伝わってこないんだよなぁ。鈍感なだけ?
何というか一度も悪ガキとつるんだことのない学級委員長ばかりが寄り集まって、「こうすればより良い学校になると思います」発表会をしているような、そんな違和感というか気色悪さがあった。

コミニュケーションが人間力であるとするなら、人間力の強化ってお金も時間もかかるよね?個人の意識改革ってすごい大変だよね?ダイエットに失敗している自分が言うけれど。
本当に仕事が大変な事になったのってコミニュケーションが足りなかったから?それ以外でもあるんじゃない?第一、SEならばコンピュータ技術を売り物にしてるんでしょ?ご自慢の技術力で「コミニュケーションなんか足りなくてももっと楽チンにできるぜ!」みたいなソフトは作れないのかな。ソフトじゃなくても開発技法とか、商売の仕方とか、契約とか、色々逃げ道はあるんじゃないの?
コミニュケーションが足りないって、じゃぁ例えばコミニュケーションが(アナタの想像する限りの)最高の状態に保たれている職場で仕事が出来たとすれば、本当にアナタが困っていたり不満に思う事が無くなるの?そういう職場でのコミニュケーションって、一体どんな行為?

とかとかとかとか。いろんな青臭い考えや疑問がぐるぐるしてる。厨房か、オレは。