ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ(2007 to 2011)

2007年~2011年ごろまで はてなダイアリー に書いてた記事を引っ越してきました。

「結局何も求めて無くて流されるまま行動した「つけ」が来たのだろう。」の続き。

小児喘息だったころ、自分は殆ど求めなかったように思う。おもちゃをねだったりとかはあっただろうけど・・・自分の明確な欲求をねだった事はなかった。

なぜなら大人が、整えてくれたから。

そしてまずは生き延びる事が優先だった自分は、大人が整えてくれた環境を良しとしてそこで静かに伏せることを覚えた。

小学生くらいまでは、「自分が何を求めているのか、なぜそれを求めているのか」に非道く無自覚だったし、また嫌なモノについても「なぜ嫌なのか」を突っ込んで考えなかった。

絵を教えてくれるアトリエも幼稚園から通っていたが、小学4-5年位でサボったりして怒られて、中学にはいる時に辞めてしまった。これは・・・まぁ、単に飽きただけだと思うが。

水泳教室に小学6年位の時通っていた。自分はてっきりクロールを教えてくれるのかと思っていたが、背泳ぎからだった。鼻に水が入るのが嫌で、サボったのがばれて怒られた。で、辞めた。*1
ただ言い訳だけど、クロールは好きだった。クロールなら泳げた。もし自分があのとき、背泳ぎは駄目だけどクロールはしたい、と明確に口に出していれば、結果はまた違っていたかも知れない。

小学4年で運動会の練習があり、騎馬戦の練習があった。その初日に風邪か何かで体調をくずして仕舞ったのだが、ちょうどその日、騎馬のペアを調整していたらしい。次の練習の時、自分はペアがいなくて困って往生していたら、「なにしてんの!」と先生から怒られた。詳しくは覚えていないが、練習が終わった後皆の前で「言うべき事言わないなんて、お前男か!?」と怒鳴られた記憶がある。

しょうがない。当時の自分にとって、困って往生していたら先生や大人はすぐ気づき対応してくれる、というのか世界のルールだった。
それ以上に先生や大人に怒られるのは、自分にとって死だった。小児喘息で大人や先生がどうにかしてくれないと生きられない世界では、先生や大人は味方に付けるべき存在だった。
どうしても先生や大人に都合の悪い事をしたくなれば、黙っているか嘘を吐くか。それが世界のルールだった。もちろん、普段から大人に色目を使っているので、都合良く騙されるだろうという計算もあった。

・・・ホント、ムカツク餓鬼だなヲイ。

じゃぁ先生や大人が居なければ、どうするの?・・・だが、当時の自分ルールでは「一人でどうにかする」だった。

幼稚園児のころ、近所の駄菓子屋にお菓子を買いに行った。だが、何度呼んでもお店の人が出てこない。仕方なく自分は、お菓子の代金分のお金をレジの机に置いて、お菓子を持ち帰った。
隣近所の事、夕方には知れ渡って親から注意された。

同じく幼稚園児のころ、昼頃になるとその日の幼稚園が終わり、お母様方が子供を連れ帰りに園までやってくるのだが、ある日自分の母親が遅れてしまった。
自分は仕方なく、近くだった事もあり誰にも言わず一人で帰った。
その後母親はあわてて自宅に戻ってきたのだが・・・。

アトリエに通っていた頃、帰りが遅くなってしまった。自分は帰りが遅い時は親が迎えに来るだろうと思い、先生が帰るまでアトリエでずっと待っていた。電話もせず。結局先生はバスで帰らなければならなくて、時間もあり、自分は親を逆恨みしながら家路についた。

結局子供の頃はずっとこんな案配で、親や大人が居なければ一人の世界で決着を付ける子供だった。

それが通用しない、ということをうっすらと知ったのが中学時代で、その意味で中学のあのクラスには非常に感謝している。あの時ぼろぼろになっていなければ、多分今よりもなお、相当歪んだ人間になっていた。

それでも・・・それでも、「口に出して言わないと分からない」という事まではその時は分からなかった。なぜなら、中学1年当時ではそこまで人生棚卸しできないし、分析できない。
高校・大学時代の成功例がある今でなければ、対比しての分析もできなかっただろう。

まず自分のもう直せない特性として、「みんなで何かして楽しむ」よりは、「一人でひっそりと自分の世界を構築する」のが楽しいし、また得意だという事実。
まぁオレオレフレームワークとかYakiBiki作って悦に入ってる時点でもう確定だよね。大学時代は「オレオレエディタ」作ってたわけだし。まぁ、オタクというか。「ほっといてくれ」オーラ常時全開、みたいな。

適応障害を起こす原因となるストレスは、自分の場合は「環境から自分に求めるもの」と「自分が環境に求めるもの」が食い違うことによるストレスだと思う。高校・大学時代はそもそも自分に何か求めてくる環境が希薄だったので、そういうストレスは無かったのだろう。逆に中学の時は、環境からの働きかけが濃密で、なおかつ自分が求めるものを勘違いしていたためにそれがスゴイストレスになってしまっていたのだろう。自分としては「よいこ」の世界で大人しく過ごす世界を求めていたのだが、それを他者に強要した上、そもそも環境というかあのクラスメート達はそんな強要なぞ何処吹く風で暴れ回っていた。
あのとき自分は「大人に対してのよいこ」なだけに過ぎなかった事を思い知った。同年代の「みんな」と付き合うには、大人に大してよい子面してるだけじゃ駄目なんだ、ということを思い知った。
中学2-3年は、クラス会長じゃなくなり、半ば傍観的な立場に居た。この辺りで、自分は少なくともクラス委員だの何だのには向いていない事を自覚した。
だから高校に入った時、意地でもクラス委員だけは全力で回避した。そして・・・まぁ、結果としてマイノリティとしてひっそり過ごせ、かつ「一人でひっそりと自分の世界を構築」できたわけで。

だから改めて理解できる。

自分、システムエンジニア向いてない。ましてやマネージャやリーダは絶望的だよ。

みんなで何かを作る。みんなで一緒に、何かする。

ごめん、自分はそれらに対して殆ど楽しさを感じられないし興味もないしそもそも「みんなで」というのが、幼稚園児からこっち思いっきり苦手だ。

オレオレエディタ作ったのも、オレオレフレームワーク作るのも、YakiBiki作るのも、全部「一人でひっそりと自分の世界を構築」することに他ならねぇえええええええええええええええ!!!!!!!!!!!
結局マスターベーションなのよ・・・。・゚・(ノД`)

事実、「みんなで」単位で仕事をした時はほぼ全部、嫌な思い出しか無い。1-2人で好き勝手作れる仕事ではそれなりのパフォーマンスを上げられるのに、「みんなで」単位の仕事をした時はやれコミュニケーションでトラブったり、信じられないような単体バグを見逃していたり、今回みたいについにはメンタルクリニックに駆け込んだりでさんざんじゃないか・・・。

そして、今までそういう自己にあまりにも無自覚だったことが今回の騒動の根本的な原因だと今では思う。
もっと早く自覚して、自分の世界を構築する、あるいはその余裕がある仕事を求めていれば・・・まぁ、ifの世界だけど、そういう仕事をやりたいと口に出して周りに言っていれば・・・。

結局今回のは、周りに対して「いい顔」したがる自分が、自分が本当に求めているモノを真剣に考えず、周りから求められる「いい顔」をずるずるとしていたおかげ。自分を蔑ろにした「つけ」がついにこういう形で降りかかってきたというそんな自業自得なお話だったわけです。

最後。

30歳になるまえに気づけて、いやー、ホント良かった!!

*1:背泳ぎできる人はスゴイと今でも思う。鼻に水が入るあのつらさをどう回避し、耐えているのだろうか・・・。